“プードル犬の正体”とは?

先日はりねずみさんが ドイツのツァイト紙に掲載された哲学者三島憲一氏の記事を日本語に翻訳して紹介してくださっていました。 http://vogelgarten.blogspot.com/

その内容がとても興味深くて驚いていたところですが、なぜか不思議 
その後この記事が消えてしまっていたようです。

幸い下書きが残っていたようなのでありがたいことにまた再度UPしてくださっていますが


私もここで訳文を(安易なコピーですが)ご紹介させていただきます。

興味のある方は是非お読みくださいね



2011_0512日没0035
 




以下転載文


ツァイト紙に日本のドイツ哲学者三島憲一氏が『プードル犬の正体』(注※)と題する大変読み応えのある記事を寄稿していました。石橋克彦や高木仁三郎、京都大学原子炉実験所の助教の方々などについても詳しい説明があり、家人も「あ、いつもキミが話している!」と喜んでいました。三島氏自身の和文があれば理想的なのですが、ネット上をざっと探してみても該当するようなテクストは今のところ見つかりません。大変おこがましいのですが、長い文章ですので私の勝手な概要で失礼いたします。もし氏自身による日本語版が見つかったらいずれ差し替えたいと思っています。

※ゲーテ『ファウスト』のなかに登場するプードル犬は、実はメフィストフェレスの化けた姿だった

*****以下拙訳による概要*****

福島原発事故以来日本人が気づいたのは、自分達が骨抜きにされてきた事実でした:

「よく晴れた 四月の日の午後、東京で推定1万5千人の参加者を数える反原発デモが行われました。たくさんの若者、子供を連れた家族、年配者、またケアに付き添われた車椅子の方も見られます。音楽あり、ユーモアに満ちたプラカードあり。ドイツ語"Atomkraft? Nein danke (原子力? ナイン、ダンケ!)" のキャッチフレーズも見られます。賑やかで楽しい雰囲気です。

 長年日本ではこのように一般市民が参加する政治デモは行われませんでした。 たとえ国家の政策に対して国民が疑問を持ったとしても、革命家や反乱分子に混じってデモを行うことは憚られました。しかし今回は私も一般市民としてデモに参加しました。

日本では極左運動が、市民の間で公的に政治論争の活性化する障害になってきました。50年代の実存主義や60年代後半の学生闘争以来、日本にも”ブルジョワ民主主義”に対する長い不満の歴史があります。顧客に媚び、ロビーの利益を最優先する民主主義の現状は幾度となく国民を失望させ、知識層を政治から離脱させてきました。古典的なマルクス主義者のみならず、左派的なポストモダニズムですら、民主主義という言葉には失笑してきたのです。私の友人でポスト構造主義思想を代表する西谷修は、ちょうど天安門事件や東欧共産圏の方向転換直後の頃、彼にとっては国家の政治体制が民主主義であるかどうかなど重要ではないのだと書いたことがありました。極左思想は政治的無関心として作用してきたのです。

さて今回のデモに話しを戻しますが、日本のマスコミの報道は実に手短なものでした。それに対してドイツでは、ターゲシャウ(AED局Tageschau ニュース)が大々的に届ける東京からの映像でお茶の間が溢れ返っていたのです。このあからさまなコントラストは、日本のマスコミの自粛、あるいは検閲の結果だったのか、それとも日本では福島原発事故にも関わらず未だに原子力発電が一般的に容認されている現状を反映したものだったのか?

同日午後20時、東京都知事選で石原慎太郎の当選したことが発表されました。悪名高い国粋主義者で、今回の選挙では明言こそはしなかったけれども原発推進派であることを否定もしなかった石原は、現在の国難と「デカダンス」を前にして、国家再建のために国民を鼓舞してくれる人物として迎えられたようでした。しかし、今やネット上に噴出する国民の原発批判と石原再選の事実の両立をどう理解すればいいのか? 加えて反原発デモに対するマスコミの無視。

もちろん日本国内でも昔から専門的な見地に立って原発の安全を問題視する声はありました。例えば2006年には共産党の
吉井英勝が、自身が原子力エンジニアリングを学んだ見識を元に、津波に先立つ干潮状態で冷却水が確保出来なくなった場合はどうするのか、あるいは電源がすべて落ちた場合にはどうなるのかなどという指摘を行っています。また地震学者で災害マネージメントの専門家でもある神戸大学名誉教授石橋克彦は1997年「原発震災 - 破滅を避けるために」という素人にもよくわかる言葉で書いたエッセイを発表していました。その内容はまるで3月11日以後の出来事を細部に渡るまで予言しているかのようです。石橋氏は衆議院の公聴会で原子炉の安全を確保するため堤防の高さを増設するよう力説してきましたが、予算の節約のことしか頭に無い他の委員達を説得することが無理と理解すると、委員を辞任してしまいました。先日の内閣官房参与小佐古氏の辞任が、こうした伝統的な諦念という形での反抗を引き継ぐだけに終わらないことを願います。

このように専門家による原発の安全性に対する警鐘は数多く存在してきたのですが、利益優先の前にことごとく 排除されてきたのです。影響力の大きい国会の委員会や大学の重要ポストにある専門家の声に耳が傾けられなかっただけでなく、原子力に批判的な若手の研究者も、システマティックにマージナル化されて行きました。福島原発事故以来インターネット上で発言の目立つようになった反原発研究者達の多くは、60歳を過ぎても未だに助教のポストに甘んじています。彼らは科学者としての良心から、自らのキャリアや家族を犠牲にしてきたのです。

日本では何十年間にわたって、本棚にずらりと並べられるくらいの反原子力書物が出版されて来ています。ここでは私の敬愛する
高木仁三郎の名を挙げておきましょう。彼は将来有望なエリートコースを直進した後(70年代前半にはMPIの核物理学客員教授まで務めました)、突然原子力研究の同僚達に背を向け、自ら市民のための原子力研究所を築き、原子力に関する啓蒙にあくなき努力を注ぎ込んできました。私の住む町の図書館には高木仁三郎の著書が33冊登録されています。ところが晩年に彼の獲得した国際的名声にも関わらず、彼の名は「地下」世界のものに留まっているのです。彼の書物は広く普及していたのにも関わらず、どこか「サミスダート(発禁書の違法複製)」的に扱われ続けてきました。高木氏の功績は日本にある種の「アンチ・クラブ」のようなものを誕生させたことでしょう。そこには反骨精神のある人々が集まって、互いに肩を叩き合って励まし合います。そしてこのアンチ・クラブの対極に位置するのが「原子力ムラ」と呼ばれる原子力産業、研究者、政治家、労働組合の集合体なのです。アンチ・クラブはこの原子力ムラに対してはまるで勝ち目がありません。

何故自由な社会において高木氏ほどの研究家(それも彼一人だけのケースではありません)がシステマティックに無視されてきたのでしょう?理由は幾つかあげられます。
60年代70年代の政治運動の後、若者達の間にしらけムードが広がり政治に対する関心が失われたこと。多種多様な消費活動が絶え間なく供給されることによって、社会問題から国民の視線が逸らされてきたこと。また新自由主義が課する激しい競争社会のなかで、公の議論に対して国民が興味を持つ余裕の失われてきたこと。その他にもいろいろありますが、ここで私が特に注目したいのは、東電の宣伝活動による世論の骨抜き化(無力化)です。

信頼できる情報源によると、東電は年間のピーアール費に10億ユーロ(約1150億円)近くの資金を注いできました。これはトヨタやパナソニックと言った世界的大企業のPR費に準ずる値です。東電が独占企業であることを考えると、なおのこと信じがたい予算です。宣伝費用のほかにも東電は東大に莫大な寄付を行ってきました。それも原子炉技術の分野だけでなく、事故影響分析の分野にも寄付を行っているのです。独占企業がこれだけの予算をPRに投じるのは、世論が原子力を受け入れ支持するようになることを目的にしているからに他ありません。テレビのCMでは著名なスポーツ選手や俳優、芸能人に原子力を宣伝させてきました。原子力発電は二酸化炭素を排出しないことがアピールされます。また新聞やTV局は有力なスポンサーである電力会社に完全に依存しています。TV局で反原発番組を企画していると、たちまち上階の電話が鳴って電力会社からスポンサーを引き上げると脅しがかかってくるのです。もちろん日本は法治国家ですし、報道の自由は保障されていますが、報道の自由という約定があるから、実際にメディアが中立を守れるわけではないのです。

有名大学の研究者は、東電が企画する原子力説明会に膨大な報酬を得て招待されます。また産業の弱い地方を選挙区に持つ政治家は、地域活性化のために原発を推進します。
このようにして日本社会は骨抜きにされ、ユルゲン・ハーバーマス(ドイツの哲学者)が三十年前に「行政と経済による国民生活の植民化」と呼んだものが進行してきたのです。原子力は、合法的でありながら汚職に満ち犯罪的であり、自国民に対する構造的な持続テロのごとく推進されてきました。そして隙ひとつない堅固な防護壁に囲まれた原子力マフィア世界では、安全神話というものが確立され、人々に信じこまされてきました。ところがここにひとつの落とし穴が発生したのです。安全神話を説きつづけるあまり、社長自身が本当にそれを信じるようになり、リスクを過小評価するようになっていたのです。その結果は周知の通りです。

もうひとつの神話は、日本の電力供給の30%が原子力発電に依存しているという主張です。それは盛夏の数日間だけの話で、しかも火力発電や天然ガス発電を停止した場合に限ってのことです。

福島原発事故後原子力を支持する声は揺らぎはじめています。これは無関心時代の終了を意味しているのでしょうか?

目下テレビではCMの代わりに芸能人やスポーツ選手が「がんばれ日本!」だとか「立ち上がれ日本人!」だとか「みんなで力を合わせよう!」と言った国民の団結を鼓舞するスポットが大々的に流されています。私が憂慮するのはその国粋主義的な性質よりも、むしろこうしたキャッチフレーズによって国民の目が重要なテーマから逸らされることです。

「みんなで助け合おう!」と言った類のキャッチフレーズに資金を提供しているのは ACジャパンという会社です。ACはAdvertising Councilの略で、大企業の連合です。これはTVスポンサーのための保険会社のようなものなのです。この会社は、破産したり不良品の撤収をしなければならなくなったりしたためにテレビのCMを中止しなければならなくなった企業のために代わりにCMに金を出すのです。そしてこのACジャパンの幹部には東電のような巨大電力会社の代表が名を連ねているのです。これこそがプードル犬の正体です。

人々は原子力ロビーの構造や原子力産業と政治の癒着、その裏に隠された利権などについて必ずしも見たいとは思っていません。あるいはそうした構造を見抜いてはいても、そのことを言葉にしたり、反対運動に転換して行こうとは思っていないという方が良いかもしれません。原子力を支持する声はぐらついています。けれども未だに日本人は感情を吐露するのに留まり、それを扇動手段として利用されるがままになっています。一度骨抜きにされた世論が、再びコミュニケーションの力を奪還し、様々な手段で表現できるようになるまでには、まだまだ骨の折れる息の長いプロセスが必要でしょう

comment

Secre

kekkowさ~ん!

私のつたない翻訳を紹介していただいて、ありがとうございます。
それも素敵な空の写真も添えていただけて...。

この空のように美しい光と憩いのための夜だけが、純粋に繰り返される世界ならばいいのに...。

こういう文章を紹介するとコメントがガクンと減ってしまうのに、
それでもあえて載せていただいたことになんだか申し訳ない気持ちもし、
でもほんとにとても嬉しく思います。
原発ニュースがメディアで扱いがちいさくなっていくのと比例して、
伝えている内容はどんどん怖くなっていることに呆然としている今日この頃です。

私達ひとりひとりの力は微細なようで、ついあきらめてしまいたくなりますが、
それでもひとりひとりが何かをやってみることで、
一歩でもこの美しい空に近づけたら、すこしでもこの美しさを守ることガできたらと祈っています。

はりねずみさんへ

おはようございます!

翻訳ほんとにご苦労様でした。
まだ消えてないですね(笑)やっぱりただの偶然?

いつも重要な情報をありがとうございます。
この文章のくだりはまるで推理小説を読んでいるようでした。
平民には金銭や名誉の世界は縁遠く、からくりは想像を絶して愕然とします。
あまりに浅はかで縁遠いものとして見て見ないふりしたいところですが
ひとりひとりが気が付いていく絶好のチャンスなんですよね。今なんですよね。
お利口さんの日本人、今想像するととんでもない洗脳をされていた時代。
そんな時にもしっかり個人を主張していた人たちがいる。
美しい世界を守っていくのは行動に繋がる意識を継承することですものね。
気が付いたときはそれを伝える責任がある。そして気が付いていく責任があるんですよね。

何人かの方がこれを見て共感してくれるかも知れません。
意識の突破口になるかも知れません。

それにしても自然界のからくりは無限に感動へと導いてくれるんですけどね。
それに気が付いて生きられることが幸せです。
プロフィール

尾崎圭子(kekkow)

Author:尾崎圭子(kekkow)
自然とかかわることでいっぱい元気もらってます。
いろんなもの育てたり作ったりが大好き。ここでいろんな思いを共有していただけたら嬉しいです

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