静かなクリスマス

 
去年のクリスマス後に砂川からわが家に来たハナちゃん
にゃんこの中でもコミュニケーションが苦手なアンチとの一年が過ぎて
ようやく少し寄り添えるようになりました
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この塊はチキンです
今年はダッチオーブンを使って調理してみました
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調理時間短縮
オーブンのお掃除しなくていいし洗い物も簡単なのでこれはいいわ!


いずしがいい感じに仕上がってます
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いただいた新鮮ニシンの切り込みも
塩麹でうんまいよ
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近年特別飾り付けのないクリスマスイヴも
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娘や孫で飾ってくれて大盛り上がりでした
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今年刺したこぎんとスピンドルで紡いだ綿40g

母娘4世代フェリーの旅

今年はとーさん『20年間新規で就農よく頑張ったね』の旅をしようと企画して
考えているうちに母はもう90歳だけど元気だし行けるかな?
だったら車で行かなきゃ不便でしょ
だったらナビ使いにmaririnも連れて行ったらちびも一緒だね…ということで

母娘4世代+とーさん

荷物がいっぱいだから車椅子に乗せて
なんとばーちゃんに押して歩いてもらって
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乗る大きなお船は太平洋フェリーの「いしかり」
持ち込んだおむすびと味玉食べて
途中寄り道でいただいた由美子さん手製牛乳豆腐もめちゃ旨かったのでした
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みんな高テンション~

おのくん
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松島
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松島の夜明け
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うみの杜水族館
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!!!すご~い!
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45分牡蠣食べ放題
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遠刈田
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2体絵付けしてきました
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秋保温泉
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バイキング
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ばーちゃん元気の素は
楽しく笑うことと美味しく食べること
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仙台最終夜
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帰りのフェリーは
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ちょっと旧型きたかみ
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やっぱり仙台より寒い苫小牧




人形の蔵(白石)

旅の最終日
『人形の蔵 』は亡きご主人が保存していたというレトロ品を展示している館
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昭和初期の懐かしいものがいっぱいだったけれど
70余年前の戦争の記憶が重苦しかった
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知らなくていい 知りたくない じゃなくて
一度でも知る必要があるよねその時の気持ち

重苦しいけれど 当時の『暮らしの手帖』
誰が誰を憎くてこんな世の中に向かうのか?
国民が見えない国家
昔の話じゃないですね

花森安治氏編集
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〈戦場〉はいつでも 海の向こうにあった
海の向こうの ずっととおい 手のとどかないところにあった
学校で習った地図を広げてみても 心のなかの〈戦場〉はいつでも
それよりもっと とおくの海の向こうにあった

ここは〈戦場〉ではなかった
ここではみんな〈じぶんの家〉で暮らしていた
すこしの豆粕と大豆とどんぐりの粉を食べ
垢だらけのモンペを着て
夜が明けると血眼になって働きまわり
日が暮れるとそのまま眠った
ここは〈戦場〉ではなかった

海の向こうの 心のなかの〈戦場〉では
泥水と 疲労と 炎天と 飢餓と 死と
そのなかを砲弾が 銃弾が 爆弾が
つんざき 唸り 炸裂していた


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〈戦場〉とここの間に海があった
兵隊たちは死ななければ
その〈海〉を越えてここへは帰ってこられなかった

いま その〈海〉をひきさいて 
数百数千の爆撃機が殺到している

焼夷弾である 焼夷弾が投下されている
時間にしておそらく 数十秒 数百秒 焼夷弾が想像をこえた量がいま
ここの上空から投下されているのだ

それは空中で一度炸裂し 
一発の焼夷弾は七二発の焼夷筒に分裂し
すさまじい光箭(こうせん)となって地上にたたきこまれる

それはいかなる前衛美術も ついに及ばぬ凄裂不可思議な光跡を画いて
数かぎりなく 後から地上に突きささってゆく

地上 そこは〈戦場〉ではなかった
このすさまじい焼夷弾攻撃に さらされている
この瞬間でも おそらくここが
これが〈戦場〉だとはおもっていなかった


爆弾は恐ろしいが 焼夷弾はこわくないと教えられていた
焼夷弾はたたけば消える 必ず消せと教えられていた
みんなその通りにした

気がついたときは 逃げみちはなかった
まわりの全部が千度をこえる高熱の焔(えん)であった
しかもだれひとり いま〈戦場〉で死んでゆくのだとは
おもわないで死んでいった


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夜が明けた 
ここがどこかわからない

見わたすかぎり 瓦礫がつづき 
ところどころ余燼(よじん)が 白く煙を上げてくすぶっている
異様な吐き気のする臭いが立ちこめている
うだるような風が ゆるくふいていた

しかし ここは〈戦場〉ではなかった
この風景は単なる〈焼け跡〉にすぎなかった
ここで死んでいる人たちを だれも〈戦死者〉とは呼ばなかった
この気だるい風景のなかを 動いている人たちは
正式には単に〈被災者〉であった 
それだけであった

はだしである
負われている子をふくめて 
この六人が六人とも はだしであり
六人が六人とも子どもである
おそらく 兄弟であろう
父親は出征中だろうか
母親は逃げおくれたのだろうか

持てるだけの物を持ち
六人が寄りそって 一言もいわないで 
だまって焼けた鋪道を歩いてゆく

どこからきて どこへゆくのかだれも知らないし
だれも知ろうとしない
しかしここは〈戦場〉ではない
ありふれた〈焼け跡〉の 
ありふれた風景の一つにすぎないのである



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あの音をどれだけ聞いたろう
どれだけ聞いても馴れることはなかった
聞くたびに背筋が きいん となった
6秒吹鳴 3秒休止
6秒吹鳴 3秒休止
それの10回くりかえし 空襲警報発令

あの夜にかぎって空襲警報が鳴らなかった
敵が第一弾を投下して七分も経って 空襲警報が鳴ったとき
東京の下町はもう まわりがぐるっと燃え上がっていた

まずまわりを焼いて 脱出口を全部ふさいで
それからその中を 碁盤目に一つづつ焼いていった
一平方メートル当たり すくなくとも3発以上という焼夷弾
〈みなごろしの爆撃〉

三月十日 午前零時八分から二時三七分まで 一四九分間に
死者八万八千七百九三名
負傷者11万3千62名
この数字は広島長崎を上まわる

ここを単に〈焼け跡〉とよんでよいのか
ここで死に ここで傷き 家を焼かれた人たちを
ただ〈被災者〉で片づけてよいのか
ここが みんなの町が〈戦場〉だった
こここそ今度の戦争で
もっとも凄惨苛烈な〈戦場〉だった


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とにかく生きていた
生きているということは 呼吸をしている ということだった
それでもとにかく 生きていた
 
どこもかしこも白茶けていた
とはおもっても 生きていたのが幸せか
死んだ方が幸せか よくわからなかった

気がついたら男の下駄をはいていた
その下駄のひととは あの焔のなかではぐれたままだった
朝からその人を探して歩きまわった

たくさんの人が死んでいた
誰が誰やら 男と女の区別さえつかなかった
それでもやはり見て歩いた

生きていてほしい とおもった
しかしじぶんは どうして生きていけばよいのか わからなかった

どこかで乾パンをくれるということを聞いた
とりあえずそのほうへ歩いていってみようとおもった

いま考えると
この〈戦場〉で死んだ人の遺族に
国家が補償したのは その乾パン一包みだったような気がする



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お父さん
少年がそう叫んで号泣した
あちらこちらから咳咽の声が洩れた

戦争の終わった日 八月十五日 
靖国神社の境内

海の向こうの〈戦場〉で死んだ
父の 夫の 息子の 兄弟の
その死が なんの意味もなかったそのおもいが
胸のうちをかきむしり 号泣となって噴き上げた

しかし ここの 
この〈戦場〉で死んでいった人たち
その死については
どこに向かって 泣けばよいのか

その日 
日本列島は
晴れであった
プロフィール

尾崎圭子(kekkow)

Author:尾崎圭子(kekkow)
自然とかかわることでいっぱい元気もらってます。
いろんなもの育てたり作ったりが大好き。ここでいろんな思いを共有していただけたら嬉しいです

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